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昆布の歴史を紐解く!?古くから愛される日本の海藻の歴史と文化的重要性とは

日高昆布

昆布とは

出汁に昆布茶、佃煮、おせちの昆布巻きと様々な場面で出てくる昆布。現在では若干地味な扱いを受けていますが、元々は朝廷へ献上される大切なものとして扱われていました。

 

現在も、地鎮祭などの祭礼のお供えに欠かせない昆布。そんな昆布の歴史と文化的重要性についてまとめていきます。

 

昆布の歴史

昆布は古くから日本に馴染みのある食材として長らく愛されてきました。先ずはそんな昆布の歴史について時代ごとに詳しくひも解いていきます。

昆布の文献最古は奈良時代

日本における昆布の歴史は古く文献では797年の「続日本紀」で霊亀元年(715年)冬十月丁丑条とあります。

 

これによると「霊亀元年の旧暦10月(新暦:10月後半から12月初頭)の冬の丁丑(ひのとうし:十干十二支のひとつ)の日に蝦夷の長である須賀古麻比留が「先祖以来貢献(タテマツレル)昆布ハ、常ニ此ノ地ニ採テ(先祖代々、常に此処で取れた昆布を献上した)」と話したと記載されていました。

 

この昆布を朝廷に献上した記録が、日本最古の昆布について書かれた記述です。

 

縄文時代から昆布は食用にされていたかも

それ以前でも、発掘調査により鳥取県にある縄文時代の遺跡の猪目(いのめ)洞窟遺跡からはホンダワラやアラメなどの海藻の植物遺存体、青森県の亀ケ岡遺跡からわかめなどの海藻の植物遺存体が発見されていることから、大昔から昆布を含めた様々な海藻が日本人に食されてきたことが推測されます。

 

室町(戦国)時代の陣中食にも昆布

戦国時代、多賀豊後守家当主・多賀高忠が出陣の際の作法について書かれた「高忠軍陣聞書」によると出陣と勝ち戦で帰陣した際に昆布を縁起物として食べられていたとあります。

  • 出陣時:打ち(のし)あわび→勝栗(かちぐり)→昆布の順に食べる(打ち勝ち喜ぶという縁起を担いでいる)
  • 勝ち戦時:勝栗→打ち(のし)あわび→昆布の順に食べます(勝ち、敵をのして喜ぶの意味)

打ちあわび:あわび(鮑)を薄く切り、打ちながら細長く乾燥させた物。熨斗(のし)鮑とも言います。

勝栗:搗栗とも書き、生栗や蒸し栗をカラカラに乾燥させて、杵と臼で硬い殻と渋皮を取り除いた物。古くは杵で搗(つ)く事を搗(か)ちと読んだので搗栗に。その「かち」を「勝ち」にして縁起物としました。勝栗は、そのままでは硬いので水に戻してから使われました。

 

昔から日本人は縁起を担いで様々な食材を食べていました。今もお正月の昆布巻きは「喜ぶ(養老昆布)」と縁起を担いでいます。

 

また昆布から離れますが、現代人にも「打ちあわび(のし鮑)」はよく目にかかります。それはお祝いなどの贈答品に着ける熨斗(のし)。その中の紙に包まれた黄色いひも状のマークは「打ちあわび(のし鮑)」を表しています。

 

のしあわび

 

そして、地鎮祭など祭礼では現在も昆布はお供えとして奉納されています。

 

また室町時代には北海道(蝦夷地)と福井県(越前)の敦賀までの日本海海路が開拓され北前船(きたまえぶね)によって多く運ばれ、敦賀から大阪や京都に昆布が多く運ばれました。

 

昆布が一気に広まった江戸時代

江戸時代が始まり戦さが無くなったお陰で、人材が戦争から農業や工業に移ることによって様々な技術が発展しました。その一つである海運も盛んになり北前船も、それまでの北海道から福井までの航路を伸ばし、敦賀を経由しないで直接大阪に届けたり、更に太平洋側を周る東回り航路も開拓し東京(江戸)や九州、沖縄(琉球)にも船で運ばれるようになりました。

 

これを「昆布ロード」と言います。この昆布ロードのお陰で、昆布の自生しない沖縄の食文化にも昆布が深く根付いています。

 

また沖縄(琉球)経由で中国(清国)にも昆布は輸出されていました。

 

この海運技術によって大量に昆布が日本全国に届くようになり、日本の出汁文化が広まりました。ただ、江戸への東回り航路の開拓は一番遅く、その為関西の昆布出汁文化に対し、関東は身近から運べるのと、武士中心の江戸ではかつおは「勝男」と縁起を担がれていたので、かつお節出汁文化になりました。

 

かつお節についてのブログはコチラから←

 

昆布という言葉の語源

昆布の名前の由来には3つの説があります。

  • アイヌ発祥説:明治初期の北海道で教鞭をふるいながら、アイヌ語文法をまとめた「北海小文典」やアイヌ語地名をまとめた「北海道蝦夷語地名解」をまとめた永田方正によるとアイヌ語で「水中の石上に生ずる草」を「コムブ」という、そこから昆布のアイヌ語は「コンプ」「クンプ」「サシ」と言われ、これが「昆布」の語源となったという説
  • 中国起源説:中国の古い国である周から漢の頃にまとめられた「爾雅(じが)」という詩経(儒教の教えの1つ)をまとめた字書によると幅の広い海藻を「綸布(Lún bù)」といい、それが広いという意味の別字である昆布となったという説があります。ただ当時の中国では昆布の養殖はなく、アイヌからの輸入であったと考えられていて言葉もアイヌ経由であった可能性が高いです。現在の中国では年間450万トンの昆布が生産されているそうですが、その原産は日本の北海道由来の昆布と言われています。
  • 日本語起源説:平安時代に編纂された倭名類聚鈔によれば、海藻類は「メ」「ノリ」などが語尾が使われると紹介され、昆布は「ヒロメ」もしくは「エビスメ(エビスはアイヌの通称)」と呼ばれていました。このヒロメが広布という字が当てられ、それが「コウフ」→「コンブ」となったという説があります。

どれが語源か確かな証拠はありませんが、北海道が原産地だったこととアイヌで「コンプ」と呼ばれていたことから、昆布の語源はアイヌ語が一番有力だと思われます。

 

昆布の文化的重要性

昆布は前述の通り室町時代から江戸時代にかけて北前船による「昆布ロード」により日本全国に広まりました。そのお陰で昆布の取れない沖縄では昆布と豚肉の煮物など昆布を取り入れた料理が多数あります。

 

出汁文化として関西圏を中心に強く根付き、関東でも昆布の佃煮として長らく愛されてきています。

 

また昭和57年(1982年)に、新しく収穫した昆布が出回る時期であること、子供たちに栄養豊富な昆布を食べて健康に成長して貰おうと、七五三と同じ11月15日を「昆布の日」として日本昆布協会が制定しました。

 

関連ブログ「七五三の背後にある文化と意味: 子供の成長への祝福」はコチラのリンクから←

 

昆布は「よろこぶ」にも通じ、今も日本において、祝い事やおせちを始め、普段の食生活にも密接に関係しています。

 

昆布まとめ

昆布は、古代から日本文化に深く根ざしており、朝廷に献上されるほど貴重な存在でした。

 

続日本紀に記されたように、715年には既に昆布が朝廷へ献上されていたことが分かります。その後も、昆布は戦国時代には縁起物としても重宝されました。

 

特に、江戸時代に発展した「昆布ロード」と称される交易ルートが確立し、昆布は日本全国へと広まりました。これにより、昆布は出汁文化を形成する基盤となり、関西を中心に出汁として、関東では佃煮として親しまれています。

 

今もなお、昆布は日本の食文化において重要な役割を担い、「喜ぶ」ことを意味する昆布巻きをはじめとした多くの料理で使用されています。

 

そのため、昆布はただの食材以上の、文化的な豊かさを象徴する存在であり続けています。昆布の歴史を振り返ることで、その文化的価値と栄養面での利点を再認識し、さらに多くの人々が昆布を日常的に楽しむきっかけになることでしょう。

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