インド発祥と言われ、今や日本の国民食となっているカレーですが、実はインドに「カレー」という料理はありません。あるのは色々なスパイスを調合して体調や気候にあわせて作られる薬膳料理。「それってカレーじゃないの?」という疑問を、カレー(Curry)という言葉がどうやって生まれてきたのかひも解いていきます。
世界にカレーを広めたのはインドを植民地支配していたイギリス人が本国に紹介したのが始め言われますが、語源に関しては所説あり、一番有力とされる説は南インド地域の言語であるタミル語で「食事」や「おかず」を意味する「カリ」(タミル語:கறி Kaṟi)ではないかと言われています。1500年頃にポルトガル人が当時貴重だったコショウなどの香辛料を求めてインドに出向いた時に、彼らの食事を見て「これは何の料理?」と聞いたら「カリ(食事)だよ」と言われてスパイシーな汁物=カリなのだと思ってポルトガルに帰ってから広めたという説です。
ポルトガル人ガルシア・ダ・オルタが出版した「インド薬草・薬物対話集」(1563)に「彼らの食事はカリールというスパイスを効かせた煮込み料理である」と紹介されています。
オランダ人のヤン・ハイヘン・ファン・リンスホーテンがその後「東方案内記」(1595)でもカリールを紹介しているので、インド料理のスパイシーな煮込み=カリールとなっていたと思われます。
イギリス本国にカレーをインド料理として紹介したのはイギリス・東インド会社に勤めていたウォーレン・ヘースティングズ(後のベンガル総督)は東方のベンガル地域に行っていたので、現地はベンガル語になります。ベンガル語ですとカレーは「タラカリ」(ベンガル語:তরকারি Tarakāri)となるので、もしかしたらタラカリのカリの部分を聞いて「これもカリール」かとなり、イギリス本国にCurryと報告したのかもしれません。
ちなみに、インドと言えばカレーをナンやチャパティなどで食べる事が一般的ですが、ベンガル地方は米食文化が根強かったので、イギリスに伝わったカレーは「カレーライス」になりました。
日本にカレーが入って来たのは明治初期です。明治以降、一気に欧米に追い付こうと色々取り入れる中に、イギリスからカレーが入ってきたと言われます。明治5年(1872)に「西洋料理通」と「西洋料理指南」という料理の本でカレーが紹介されました。その翌年明治6年(1873)には陸軍幼年学校の土曜日の昼食としてカレーが出されたそうです。明治38年(1905)に大阪で薬種問屋の「今村弥」が初の国産カレー粉を製造・販売し、翌明治39年(1906)に東京・神田の「一貫堂」が「カレーライスのタネ」というレトルトとルーの中間の様な商品を製造・発売され、徐々に日本中にカレーが浸透していきました。
また明治食に開設間もない日本海軍において、当時栄養バランスが悪く脚気に悩まされていた軍人の食事内容を見直すのに、イギリス式の軍事技術を取り入れつつ、当時のイギリス海軍が取り入れていたカレーも「スパイス(生薬)による新陳代謝の向上」「栄養豊富」「兵糧を大量に一度に作れる」などなどの理由から取り入れられていきました。また、海洋に出ていると曜日感覚が狂うので、それを修正する為に、毎週土曜日にカレーを出すようにしていたのが、その後海上自衛隊に伝わりましたが、更にその後週休二日制が導入されるのを機に、土曜日から金曜日に自衛隊のカレーの日が変わったそうです。
上記でも書きましたが、カレーは様々なスパイス(生薬)を配合することによって、美味しい上に健康になれる食事です。代表的なスパイスとその効能をご紹介します。
カレーは、単なる美味しい料理以上の意味を持つ食文化の象徴です。インドからポルトガル、そしてイギリスを経て日本に渡り、それぞれの地で独自の進化を遂げてきました。その歴史は、単に食材の交流を超え、異文化の理解と受容の深い歴史を映し出しています。各スパイスの持つ独特の効能が、カレーをただの食事から健康に良い薬膳料理へと昇華させています。日本では明治時代に導入されて以来、国民食としての地位を築き上げ、その過程で日本独自のカレーライス文化が生まれました。軍隊や海軍における栄養価の高い食事としての導入、さらには現代の健康志向に合わせた食品としての発展は、カレーが単なる食事以上のものであることを物語っています。このように、カレーは多様な文化や歴史を内包した、世界をつなぐ美味しくて健康的な料理と言えるでしょう。
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