自己紹介を込めて、弊社の変遷をサラッとだけご紹介させていただきます。
弊社は元々は日本橋旧富沢町に構えておりましたが、大正12年(1923年)の関東大震災を機に
親戚を頼り、柴又の地に移り住んできました。
当初は日本橋で営んでいた髢屋(日本髪を結う際に使う義髪を扱う商売)を曾祖母が柴又の地でも営んでおり、
地元の料亭「川甚」で舞妓さんの日本髪を結うお仕事をしていました。
その後、昭和20年代に、祖母がテイクアウトの天ぷら屋を始め、同時期に立石の鮮魚店に勤めていた祖父が
そこで仕入れた調味料や乾物を、祖母の切り盛りする天ぷら屋に並べる様になって、食料品店「きくや」の原型になっていきます。
祖母が切り盛りする天ぷら屋に並ぶ、調味料や乾物の需要が拡大するに連れて、徐々に祖母だけでは運営し切れなくなり、
祖父が鮮魚店を退職し、昭和29年(1954年)食料品店の経営をスタートしました。その際、それまで髢屋の屋号であった「きくや」をそのまま店名に。
その後経営する中で、父や叔父も一緒になり昭和53年(1978年)株式会社きくやを設立、同年、ボランタリーチェーン旧東京フード(現、全日本食品株式会社)に加盟しました。
チェーン加盟後も、一部厳選した商品をそれぞれの市場に探しに行き、店頭に並べることにより、弊社独自の特色を出したり、原点回帰でお惣菜を強化して経営を続けてきましたが、長引く新型コロナの影響と従業員の定年退職が重なり、令和4年7月8日に店舗での営業を終了しました。
現在、柴又帝釈天参道にあるお店や、区内保育施設と業務提携をして食材を納める業務とともに、長年市場に通って紹介して貰った美味しい食品をネットを使って、全国へ届けることを目指しています。
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